ありがとうのうた

えー、まあこっちにもちょっとお話でも書いてみようかなと思いまして。v6さんの「ありがとうのうた」で。
これはかつてのサイトで書いていたものの完全版です。



僕の勤める営業所は都心のターミナル駅から30分程度の東京の東の外れにある。このあたりには昔からの町工場も多く、今でも中小企業がけっこうあるから、コピー機やら小さな印刷機やらのレンタルが主業務の僕の会社は都内でもわりと大きな規模な営業所を構えていた。僕を含めて営業が15人、そして僕らをヘルプしてくれる事務員さんが4人。そしてその冬、4人のうちの2人があいついでいなくなってしまった。1人は階段から落ちて骨折。もう1人はおばあちゃんの急な病気で休職してしまったのだ。有能な事務員さんを失って僕ら営業部員は途方に暮れた。そして本社に助けを求めたのだ。

緊急援助信号の聞き届けられた2月にしては暖かなある日、彼女はやってきた。彼女は僕らの救世主にふさわしい柔らかな雰囲気の女の子だった。特に何がどうと特徴があるわけではないのだけれども、なんだか懐かしい感じのする女性だった。彼女は本部で営業のヘルプをしていた救世主だったから、やってきた当日から僕らをガンガンにヘルプしてくれた。そう、本当に救世主だったのだ。

ある日僕はとても悲しい思いをした。まあ、そんなのはよくあることで、絶対にうまくいくと思っていた契約がギリギリで駄目になったのだ。とてもがっくりして、本当に疲れ果てて僕は営業所に戻った。その日もとても寒い日で、そのせいもあって帰り着いた時には身も心も冷え切っていた。営業所に戻っても、こんな時間じゃどうせ営業の野郎どもしかいないのだなと思うとなんだか切なかった。同輩となぐさめ合うのもいいけれど、そんな時は「おかえりなさい」と迎えてくれる彼女たちの誰かににっこりとして欲しかったのだ。

まあいいかと…野郎どもでもいいかと思いながら営業所のドアを開けると「おかえりなさい」と声がした。「なに?残業?」「それもあるけど、今日は契約があるかもって言ってたから、すぐに書類を作ろうかと思って。」待っていてくれたのは、彼女だった。…一瞬言葉に詰まって、嬉しくて、その分申し訳なくて。ごめんね、契約だめだったと言った。

「えーっ。駄目だったですか。イノハラさんあんなに頑張ったのに。残念です。」と彼女は言った。本当に悔しそうだった。だから僕は「ごめんね待っててくれたのに。でも大丈夫、明日は頑張るから。」と言った。そうだよ、明日頑張ればいいんだよね。

その日から、僕はなんだか彼女の事が気になるようになった。ほんのちょっと視線が合ったり、どこか背中の向こうで彼女の「木村さん電話です。」なんて声がするだけで、なんとなく優しい気持ちになった。今日も頑張ろうと思った。契約を取って帰って彼女に契約書を作ってもらおう…なんて思ったりした。

ある日、遅くなって営業所に戻るとさすがに彼女はいなかった。少し淋しく思いながらデスクに戻ると小さなメモが貼ってあった。「おつかれさまです。坂本営業所さんから電話がありました。携帯がつながらないのでメモを残します。明日、電話がほしいそうです。もういちどコピー機の件で話をききたいとのこと。がんばって!」メモは不思議な形の付箋紙に書かれていた。魚のようなクジラのような…不思議なカタチ。

翌日僕は坂本営業所を訪ねた。あの日、契約が土壇場で駄目になった相手だった。おっかなびっくり、何の話かと思って顔を出すと人の良さを絵に描いたみたいな社長は僕に頭を下げた。「値段に釣られて他の会社と契約をしようとしたけれど、あれは自分の間違いでした。」驚いて何も言えずにいると彼は、こう続けた。「イノハラさんがこの会社の事を親身に考えてくれて、本当に熱心に相談ににってくれたことを忘れてました。安いけれど、契約しっぱなしみたいな会社はうちには合わないと昨日、息子に怒られました。」

この仕事をしているととても辛いこともあるけれど、こんなふうに心から嬉しいこともある。僕は彼女に契約書を作ってもらうために急いで営業所に戻った。「オメデトウございます。がんばってステキな契約書を作ります!」と彼女はガッツポーズを作った。「ありがとう。昨日のメモのおかげだよ。でもあのメモ何の魚なの?」「あれですか…あれは魚じゃないです。アシカですよ。」そう彼女は言って「よーし!」とキアイを入れた。「頑張るぞ!」と。

彼女の作ったキアイの入った契約書はメデタく坂本営業所に貰われていった。僕は思う、幸せってこういうことなんだなって。僕は、その幸せに応えるために、もっともっと頑張ろうと思った。いっぱい頑張って、いっぱい彼女にキアイの入った契約書を作ってもらうんだ、と思った。

でも、そんな日々はある日突然終わりを告げる。ばあちゃんの病気が治ったおばちゃんが戻ってきて、骨折の治ったお姉ちゃんも戻ってきて。僕らの救世主であった女神様が本拠地に帰る日がやってきた。「とても楽しかったです。みんな明日からも頑張って契約あげて下さい。」そう言って彼女はあっさりと天界に帰っていった。「ありがとう」と僕は言った。君がいた半年、君とちょっと視線が合ったり、君の声がちょっと聞こえたり、そんなだけで、なんだか今日も頑張ろうと思うことができました。

僕は今日も営業所のドアを開ける。優しいお姉さんやおばちゃん達が明るく僕を迎えてくれるけれど、僕はなんだかまだ君がいるような気がする。コピー機の影やら書庫の向こうで彼女が笑ってくれている気がする、確かに彼女はきっと今日も笑ったり悔しがったり、喜んだりしてるのだろう。よーし、と僕は彼女の真似をしてキアイを入れる。よし、今日も頑張るそ!

かんぽさんにここではコピーの営業さんになってもらいました。ぱちのお話のさわりです。長いのはお話サイト-Lでどーぞ。