Of Walls and eggs

やっと(??)文藝春秋を買いまして村上春樹の「僕はなぜエルサレムに行っのか」というインタビューを読みました。なんでそんなにうだうだしたかと言うと、文藝春秋って厚くて高いじゃないですか、なのに他に読みたい記事が全然無いでだもん・・・。どうしようと悩みましたが、結局は買いました。それはなぜかというと(まあ簡単に言うと村上春樹が好きだからなんですが)下記のような理由によるわけです。

子供の頃って本が好きでも、それを書いてる人ってあまり考えない気がします。でもだんだん「誰が書いたのか」ということを気にするようになる。ひとつの本が気に入ったら、同じ人が書いた本を続けて読むようになったり、その中から筆者の考え方みたいなものを汲み取ろうと思ったりもするわけです。「監督が好きなのではない映画が好きなのだ、俳優が好きなのではない役が好きなのだ」というようなことを読書においても自分は掲げてはいますが、やはり一人の人間が自らの中から生み出すものにおいて、そこには人間性というものが現れるのはあたりまえで、その人の作品が好きなら、その人自身にもある程度好感を持つのも必然なわけです。

まあ、そういうわけで自分は村上春樹の著書の中のいくつかがとても好きだし(いくつかはあまり好きではない)そこから出てくる彼の考え方やスタンスに興味を持っているし、多くの場合において賛同できるし…という感じなので、そういう人が「あの問題」についてどのようなことを語るのかはとても興味深いわけです。

小説というものは彼の言うところの「嘘」ではありながら、人の心に大きな影響を与えたりするわけで、自分はある時期に一所懸命読んだ小説たちは文学的価値はおいておいて(新井素子とか片岡義男とか)自分の中の価値観の判断に大きな影響を与えていると思う。

村上春樹は自分の中にうまくは言えないけれど「なんとなくな考え方の指針」みたいなものの欠片を植え付けてしまった人物なのでそういう側面においても「あの問題」について彼がどのように書く(語る)のかはとても興味がありました。

読んでみての感想は、自分はやはり彼の書く文章のリズム感が好きなんだなと思う。論旨の展開の方法やらが自分のフィリーリングに合うんだなとも思う。だから何を言っても賛同するかしないかではなく、すんなり「理解」することはできます。それにやっぱり自分は「やらないで文句を言うよりとにかくやってみる」みたいな考え方が好きです。ネガティブな否定よりポジティブな否定を。ちゃんと自分で見て、聞いて、自分の判断で、ちゃんと理解したいも思うし、言わないことで伝えるより小説家なら言うことで伝えろ、と思います。自らの何かを伝えることが商売なんだから、もちろん小説家なので「作品」で語ればいい…なんていう人もいますが、でも自分はそういう派閥ではない(笑)


まあ一番の理由は立ち読みする時間がなかったのと、そこここに出ている英文だけで全てを理解できるほど英語力が無いってことです。

しっかし、文藝春秋は本当に文藝記事がないっすねー。それともオール読物と自分が間違ってるだけなのか?(笑)