自分はユキになりたかった。

ムリですけどね(笑)うちの母親は非常にアメですが…。



自分がハルキ派になったひとつの文章があるのですけど。それは、ある文章の中のあるシークエンスで…長距離を走ることについて、それを「つまらない」と言うある人物(たぶんタモリさん?)について言及したものについてですけども…。まあ、そんなことについて。

自分はその頃(ユキに憧れていたころ)、走る人について、たぶんタモリさんと同じ事を思っていた。タモリさんは多分、分かったうえで言っていたのだと思うけれど、自分は本気で「走ることはつまらない」と思っていた。でも、そんな事はあるわけはない。本気で走る人はそれだけで、ハルキ風に言えば、凡庸ながらも何か(走った事のない人には得られない何か)を得ているのだと思う。だから、凡庸であるにもかかわらず、走らない人よりも、自分が凡庸であると判ったうえで走る人の方が自分は好きだと今は判る。(その頃は判らなかった。)
ムラカミ氏はその文章の中で「つまらない人生を少しでも素晴らしいものにしようと」みたいな事を書いていた。自分はその文章を読んで、ものすごく判ったのだ。人は誰でもそんなに素晴らしい才能や何やらを持ち合わせて生まれてくるわけではない。でも、平凡で凡庸であったとしても、その中でできる限りの何かをつかみ取りたいと思っているのだ。その手段として、ある人は走るし・・・ある人は・・・違う何かをする。

僕はその頃、ユキになりたかった。きっとあのお話を読んだ、たくさんに人たちがユキになりたかった。傷つくだけでなく、何かを持っているユキになりたかった。ユキでなくても、人は傷つく。だったらユキの方がいいじゃん。

自分は傷つかない人より、少しは傷つく人の方がいいと思う。人間には心の揺らぎというものがあり、それはすごく微妙なものだと思う。その揺れを感じた時に、その撓みを痛みと感じない人は、ある言い方にすると「つまらない」人物なのだと自分は、思う。僕はそれなら、どんなに自分が凡庸だとしても自分が自分なりに輝くために努力する人が、好きだと思うし、その手段がつまらなけでば…つまらないほど、その手段に心を動かされる気がするのだ。

[:W200]