殺人者。

「殺人者」について
見てきました。「シャンプーの芝居か?」と言われれば、もちろんやっぱりのアカホリワールド。でもひとつ違うのは舞台が開放されていること。今までのアカホリ芝居は「室内」で(事件のぞく)まあ、後は屋上(これも閉鎖されている)くらいなもので、その辺がやっぱり圧倒的に違うかな。それから出てくる女性がみんなキレイ(笑)、これも圧倒的に違う。もちろん、こうだったら…ああだったらと思うことが無いわけでもないですが、まあ…それもそれかなあ。あと、やっぱ暴力性とか狂気とかそういうの、控えめだった気がちょっとする。青少年向けなのかなあ。あとケーキの食べ方があまい…気がするなあ(笑)もっと何個も食べろと思ってしまいました。あそこは喋れなくなるくらい思いっきり食べるところだろう…とか。日々さんはけっこう食ってますが。でも…ぜひ勝には…口いっぱいに頬張りながら泣きながら、ケーキこぼしたり飛ばしたりしながら、非常に汚く台詞言ってみてもらいたいです。

「アカホリ芝居」について
他の方の書かれたこの舞台の感想なんかを読むにあたり、やはり「わかりにくい」というのが多くありましたが、アカホリ芝居は特に判りにくい芝居では無いと思うのだけれど(今は難しいの多いからね)、まあ…よく見ないと気づかない小技とかがあったりするのはあったりするので、判りやすく解説されているような優しいお芝居でもないですが…実はそれが非常に現実的であり日常であると思うわけです。
自分的にはアカホリ芝居の特徴は「居心地の悪さ」と「先の読めなさ」なんじゃないかと。これを「日常」の中で繰り広げるわけなのだけれど、まあ…日常というのは往々にして居心地悪くて、先の判らないものですから…当たり前かな。そして現実というのは本当に判らない。「どうしてこんなことになるの?わけわかんない?」と思うし誰もが突然、想像もしない事態に巻き込まれる。そして、その理由なんて誰も説明してくれない。見えるのは自分の前に繰り広げられるものだけ。自分の前をいろんな人が行ったりきたり出入りして、自分はそれを定点監視している。それがアカホリ芝居だと、おもっているのだけども。それがアカホリ芝居の判りにくさなんじゃないかな…と。
そんな辺りと、最後にマリがドアノブを掴むところはいつものアカホリさんだなあ、と思った。そのドアノブはマリにしか掴めないのだ。そういう日常の中の捨てたもんじゃない的なところが、最終的にはアカホリ芝居なんだろうな。最後が甘い。幸せじゃないのに、どっかいっこ甘くて…何か一応の幸福カケラ的な「おしまい」がある。人生は100%不幸というわけでもありませんよ、みなさん。みたいな…(笑)

まあ、結論としてすごくたくさんの人が大好きになるような芝居ではないですかな。そんなわけなので、赤堀さんには、もうみんなに好かれようとか思わないで徹底的に居心地が悪くて、見るのが辛いような芝居を作ってもらいたいです。そういう意味では津田沼もなかなか核心に迫ってましたね。これからは広い舞台もあると思うので、そういうところでも、更にパワーアップして恐ろしいくらい嫌な気分にしてもらいたいです。そして最後に、ちょっとだけ甘く。赤堀さんの優しさや弱さのおすそ分け程度に。



おまけ…
今まで見た中で一番好きなのは「恋の片道切符」なのだけれども、三宅健ならこの恋人役をやらせてみたかったかな。それはストレートすぎるかな。